カフカの短編集に「道理の前で」という小説があります。
物語は屈強な門番と、門を通り抜けようする男とのやりとりです。
20代前半の私が就職でつまづき、自分の未来が不安で仕方なかったときに、同じような境遇の友人に教えてもらった小説で、この物語は私の人生の節目でよく思い出されます。
当時の私はとにかくいい会社に入って成功するためには、語学力が武器になると思い、英語を勉強することになりました。
が、しかし、短大の英文科をビリに近い成績で卒業した私はTOIECが400点未満だった。そして、結局、TOEIC700点超と英検準一級達成まで3~4年くらいかかりました。
もっと集中して勉強すれば1年くらいで達成できることに3~4年もかけてしまったのです。なぜかというと、自分を哀れんで攻撃することにプラス2年以上を費やしていたから。
勉強をしようとしても、そして勉強をしていても、いろんなネガティブな感情が生まれてきます。
- TOECI 400未満の私が英語をはなせるようになるの?
- 語学力があったからって、本当に就職できるの?
- いい会社に就職したからって、自分の人生の何が変わるっていうの?
- 私って成功している同級生にくらべて、これもあれも劣っているよね
- もう20代も半ばなのに、いままでの人生で何も達成できていない
これらの自分への攻撃は冷静に考えると全く意味が無い行為なのですが、当時の私はこれをやらずにはいられなかった。
まさに、門の前で地団駄を踏む男ですね。
それまで甘やかしてくれる両親が与えてくれた環境の中でしか生きたことがない私は大きな夢を抱く想像力が退化しており、未来に対してはネガティブなことしか思い浮かばなかったんです。
しかし、いままで守ってくれていた両親の仕事は数年前からうまくいっておらず今後はあてにできなかった。
つまり、自分のネガティブ発想に負けることは、この先まともに生きていけないことに直結します。
「門の前でのたれ死ぬ」という選択肢なかったため、ネガティブ発想に苛まれながらも、とにかくいまできることを積み重ねていくほか道はありませんでした。
そして、なかなか進まない英語の勉強をするかたわらに、転職活動も同時進行です。
- ちぐはぐな英語で書かれた職務経歴書
- 誤字脱字の多い出願レター
- 身の丈に合わない企業への突撃訪問
- 礼儀作法が無いための就職先でのトラブル
けれども、いま振り返るとどの失敗も次へのステップの足がかりで、いくつかの転職を経験し、いまの外資系でのキャリアにつながりました。
それに、これらの積み重ねは「転職の成功」や「年収アップ」のほかに、「自分の価値観・自分の感覚」の存在を気づかせてくれました。
今まで親の与えてくれた環境で生きてきた私は「自分の価値観」だと思っていたものが、実はその「価値観・感覚」さえ親が与えてくれたものだったことに気づきます。
「自分の力で生活する」
「自分が脂汗をたらしながらチャレンジする」
それが私の人生の第二章の幕を開けてくれたのです。
今までの自分の枠を超えようとするとき、今まで目を背けてきた自分と対峙することになります。
すごく嫌な気持ちになるけれども、それは過ぎてみれば本当に一瞬の出来事で、経験してみれば「あれ!?思ったほど(辛くも)でもないな」という感覚です。
ぜひ、勇気を出してその足で一歩を踏み出してみてください。
そこは今までに無いワクワクした人生の始まりですから!