アドバイスは嫌われる?
過去の経験で、友人や同僚にアドバイスして歓迎されたことはあまり記憶にありません。
私が他人にアドバイスするとき、心からよくなってほしいと思って言っているつもりですが、やっぱりあまり喜んでもらえないことの方が多いように思えます。
いったいどうしてなのでしょうか?
まず、思いつくのは、アドバイスや助言というのは、相手を否定的にとらえている部分があるというのが前提になるからではないでしょうか。
あなたには良くないところがあるから、それを修正するとよくなりますよ。
↓
あなたには正さなければいけないところがある
↓
あなたは良くないところがある
なので、もしかしたら自己肯定感が高い人や、本当に成長したいと考えるタイミングであれば、
「自分を否定的に評価された」
と感じるよりも
「自己の成長の手助け」
と、とらえるかもしれないですね。
なので、言い方を工夫したり、タイミングを見計らうことで、より真意(相手の成長の手助けになりたい)が伝わるかもしれません。
ただ、今回のブログでは、アドバイスについて別の角度から検証してみたいと考えてみました。
別の角度とは、アドバイスをいう人、つまり自分を軸にみてみようと思ったのです。
・私ってどうしてアドバイスしようと思ったの?
・私はどんな時にアドバイスしたいと思うの?
そのように自分を軸にして「アドバイス」について考えていくと次の事にいきつきました。
- 自分が過去に苦しんだ同じような状況にある人や、同じような失敗をしている人をなんとかしたい/早く解決に導いてあげなくては
- 自分に禁止していることは、しないことが正しく効率的なので、相手にも教えてあげなきゃいけない
あれ!?これって・・・
私が嫌っている過去の自分自身や、自分がした失敗を、他人の中にみつけて、他人を修正することで、自分を安心/満足させたいって構図じゃない!?
つまり、鏡に写る寝癖のついた髪型の自分をみて、一生懸命に鏡の中の自分の髪にブラシをかけようとしているのと同じことですね。
まったく意味ないじゃん!!!
寝癖のついた髪の毛を直したいなら、ちゃんと自分自身の髪にブラシをかけないといけない。
そう、他人にアドバイスをしたくなったときには、私は私自身がその状況をみて何を感じているのか、じっくり自分を観察し、自分の中の何を排除しようとしているのか気づくことが大切なんだ。
そして、その排除している自分自身に良し悪しをつけるのではなく、それは私自身の一部なのだと、私が受け止めてあげることが必要なのかもしれない。
そうしたら、アドバイスしたいと思っている相手にも、その人を修正するという気持ちよりも、もっとその人が抱える困難や問題に寄り添ってあげることができるのかもしれません。
きっと困難や問題を抱えるその人は、試行錯誤しながらでも自分自身で問題を解決する力を持っているはずです。
その人を信頼し、寄り添ってあげることができるような私になれるように、もっと自分を観察して、本当の自分を受け入れることができる度量を持ちたいですね。