「美しすぎる銭湯絵師見習い」勝海麻衣さんの盗作疑惑をニュースで知った。
このニュースを聞いたとき、全く自分と関係の無い他人なのだが、なんだか自分のことを言われているみたいで、とても恥ずかしい気持ちになった。
こんな風に、自分のことじゃないのに、まるで自分のことのように感じてしまうことって無いでしょうか。
ちなみに、私の友達の中には、石原真理 (オリジナルでは石原真理子)さんが暴露本を出して世間を騒がせていたときに「彼女を見ていると自分のことのように恥ずかしい気持ちになる」という人がいました。
今回のケースをわかる範囲で自分を分析すると、こんな状態ではないだろうか。
- 自分もそれをやってしまいたいけど、やらないように気をつけている
- 自分自身は「それをやりたいと思っている自分」をある程度受け入れている
「ある程度受け入れている」というのは、
「わかるよわかる。まぁ、そう思っちゃうんだよね。くぅー(涙」って感じ。
私は、このブログを始めたきっかけのひとつは、たくさんの面白いブログを読んで感動したからだ。
お気に入りのブロガーさんたちの記事を読むと、いろんな意味でその才能に驚き、心から敬意を抱きます。
- コメントの出し方
- 挿絵の描き方
- 物事の着眼点
- 迫力のある表現力
こんな普通な出来事を、こんなにも面白く表現できるんだなぁ。
なんて感動することがよくあります。
で、心の片隅でちょっと思うんですよ。
って。
でも、思うけど、そうはしない。
だって、それをやっちゃうと、このブログを書いている意味が全くなくなってしまうから。
このブログは私の感覚や感じることを伝えたいから書いている。
だから、たとえ私の文章や着眼点よりもすぐれた作品や内容であったとしても、他の人のものがはいっちゃうと、私にとっては何の意味もなくなってしまうんです。
おとといの時点では「盗作」について、勝海さんご自身は否定も肯定もされていないそうでした。
もし今回のことが「盗作」であったとすれば、(私の場合と違って) 彼女はとても注目されていてメディアにもいっぱいでて、応援してくれる人やファンもたくさんいるから、その期待にこたえたい気持ちが強く出ちゃったのかな、とも想像したりします。
ちなみに、心理学的な見解では、人は自分が自分に禁止していることをする人をみると、猛烈に腹が立ち批判したくなる そうです。
「いいか!絶対にするなよ!それをするってことは人間やめるってことや。考えること自体が罪なんや!」って自分で自分にずっと言い聞かせている感じ。
この状態では、自分が「それをやりたい」と感じていることすらも自分に許可できていないので、「それをやりたい自分」に気づいていないことが多いです。
いっとき、オリエンタルラジオのあっちゃんがワイドショーで不倫した芸能人を痛烈に批判していました。
心理学を勉強している私はそれを見るたびに
「あっちゃんって結婚しているけど、心のそこでは奔放な恋愛にものすごくあこがれているのかな?」
なんて思ったりしていました。