ボランティア

ボランティアについて考える

毎日爽快

私は現在、2つのボランティアに従事している。

  • 貧困家庭の子供たちへの無料学習支援
  • 保護猫シェルターの掃除

しかし、基本的な私の考え方としては、ボランティアというのは、受ける側はまったくの無料ではないほうがいいと思っている。

たとえば、学習支援ならば、1回 3時間の学習で500円を徴収など。

というのは、授業を受ける生徒がお金を支払うことでメリットがあると思うからです。

  • 自分の意思で授業を受けるということが、より本人にとって明確になる
  • 自分に投資することの意味がわかる

私は子供のころ両親がずいぶんと教育にお金をかけてくれましたが、まったく勉強しませんでした。
「親にやらされている」と感じていたし、自分では興味のないことだったからです。

いまから考えると非常にもったいないことです。

けれども、その後、社会人になってから英語を再び勉強したときには、ちゃんと仕事で使えるくらいのレベルに達するくらい勉強しました。
当時の薄給な私にとって、英語の勉強に使うお金は大きな金額でしたが、仕事で使えるぐらいの英語力がついたときに、初めてその使ったお金は自分への投資だと気づきました。

「活きたお金の使い方」を体感したのです。

それからは、自分が使うお金が、本当に「活きたお金」かどうかということを意識しています。

とはいえ、猫にはザブザブお金を使っちゃいますが(汗

猫は私を癒し、とても優しい気持ちにさせてくれるので、その存在にそれだけの価値があることは間違いないのですが、きちんと考えて使わないといけませんね。

話がそれましたが、多くの寄付やボランティアをされている高須クリニックの院長が、ネットニュースで「努力する人しか助けない」というようなお話をされていましたが、私は高須院長の意見にとても共感しました。

その人本人が「なんとかしたい」「本当に現状をよりよくしたい」と思わない限り、その人の状況は変わらないと思うからです。
他人はサポートすることはできても、その人の人生を全部肩代わりすることなんて不可能です。

そして、加えて残念なことに、サポートしてもらっているばかりの人は、サポートしている側の人に罪悪感を感じ、サポートしている人を攻撃してくることさえあります。

たくさん助けている身内や友達に攻撃されたことってないでしょうか?
「どうしてもっと助けてくれないの?」
「助けてって頼んだ覚えない」
なんて感じで。

私のボランティア活動はいま始めたばかりですが、いつか「格安の本気塾」「犬・猫シェルター」を自分で開くことができるといいなぁ、と夢みています。

私の願い

子供たちや動物たちが幸せな社会がいつか必ず実現しますように!