読んだ本

日の名残り

毎日爽快

カズオイシグロ氏の著書「日の名残り(The Remains of the Day)」を読んだ。
1989年に英語圏最高の文学賞とされるブッカー賞を受賞した小説です。

この作品を読もうと思ったきっかけは、私の好きな映画評論家でコラムニストの町山智浩さんが、ラジオ番組で紹介していたからだ。

町山さんは「自分の価値観を大切にしなかったことで人生をめちゃくちゃにした人の話」というような紹介をされていたと思う。

私自身が最近、自分の価値観や自分が感じている本当の感覚を生活のテーマにしているので、とても気になり読もう(聴く)と思った。

第二次世界大戦の時代に大きなお屋敷で執事を務めた男性が主人公の話なのですが、「人生をめちゃくちゃにした」と表現されるようなすごくドラマチックな出来事は彼自身には起こらないのだけど、とても残念な生き方をした男性の話のように感じた。

彼の人生の中で、生きていれば誰にでも起こるような心を揺さぶられるような出来事や、自分の価値観と向き合わないといけないような瞬間にいくどとなく出逢うが、彼は「執事のプロフェッショナルであらなければいけない」という観念の元、その自分の中で起こる大きな感情や情念に向き合うことなく、ただ「執事のプロフェッショナル」として過ごしていくことが生きる目的のようだった。

しかし、私には、彼のそのような行為は向き合いたくない自分から逃避するために、プロに徹するという言い訳をしたように映った。

「プロフェッショナル」であることに徹するためには、自分の本当の気持ちを無視することではないような気がする。

一流の職業人とは、自分の個性や感覚を持ちながら、その技術や技能を発展させていくものではないか。

私が感動した「プロフェッショナル」を追求する人々の中のひとつに、映画「タイタニック」で登場する、船内オーケストラの演奏者たちを思い浮かべる。

タイタニック号がもう沈没するという乗客たちが阿鼻叫喚する中、オーケストラの演奏者たちが、船と運命をともにすると腹をくくり、乗客たちが少しでも冷静さを取り戻せるように演奏を続けた。
物語の中で演奏をつづける彼らは、現実逃避のためではなく、自分たちの運命を受けとめ、自分たちの力を振り絞ったようにみえ、私はその姿にとても感動した。

一流のプロの仕事とは、その業績を目の当たりにした人々に畏敬の念を起こさせるというよりは、感動を与えるものではないだろうか

本を読み終えて、そんな思いをめぐらせていました。