つれづれ日記

より良い未来のために、今できること

毎日爽快

生活や仕事の中で、どうしても許せない事柄や人がでてくることがあります。
そして、その相手方とどちらが正しいか争う。
どちらかが勝って、どちらかが負ける時もあれば、その争いが延々と続くこともあります。

国どおしのいがみ合いや、戦争などは、その延長線上のとても悲惨なバージョンですね。

私も特に仕事上でこの争いをよくやっていました。(やっています、かな!?)
私のセオリーではこんな感じ。

  • 私が一番効率的なんだから私が正しい
  • 私が一番よくできるから私が正しい
  • 相手が怠けているから、相手は間違っている
  • 相手の言っていることは筋違いなんだから罰を与えないといけない
  • etc….

これは、私の側面からみたら正義なんです。
だから、正義のために必死で戦い、相手をコテンパンにやっつけます。

そしてやっつけられた相手は、私のことが大嫌いになります。
しかし、私にしてみたら「間違ったことしている相手が私のことを嫌いになろうが知ったこっちゃない。」と、まったく気にしていませんでした。

いってもわからない相手は、私の周りからいなくなってくれたほうが清々(せいせい)すると思っていたんです。

ところが、最近、ある出来事があり、自分のこの考え方を変えたほうがいいと気づきました。

私は最近、会社からリストラを宣告されました。
会社では同職の人たちよりも、多く業務をかかえ、その成果の質もより高いものが出せるように努力していたにもかかわらず、あっさり会社から捨てられたんです。

どこかで、いつかは脱サラしたいという気持ちがありましが、新しいやりたいことも明確でなく、現段階で他に収入源がない私は精神的なダメージをうけました。

そんな時に、道端でばったり同僚のA君にあってしまった。
私より15歳くらい年下の男性です。

A君は仲良くしていた人で、他の同僚たちとともにランチやディナーを一緒にいくような間柄でした。
しかし、1年ほど前に、仕事上でA君が上層部からとても追い詰められたときに、私に対して八つ当たり行為をしたことがあり、私はA君に対して激怒したことがありました。
そのとき、激情タイプの私は、いつもどおりA君をやっつけてやろうと、復讐を誓っていた。

カバンからライフルを取り出し、銃口を向けスコープにA君をとらえた瞬間、横から邪魔がはいり、標的を逃します。
気持ちを切り替えて、もう一度ライフルを取り出すけれども、どうもタイミングがあわない。
そしてそうこうしている内に、私の中にあった激情は収まり、A君をやっつけることがなく時間が過ぎてゆき、A君の人の良さもあり、なんとなくまた仲良くなってしまったという経緯がありました。

そのあとA君は部署移動となり、仕事でのかかわりも少なくなり、コロナ禍もあって在宅勤務となったので、ほとんどコミュニケーションをとらなくなっていた関係となっていました。

そのA君と、リストラ宣告後に道端であったんです。
A君はやっつけていないので、いい関係が凍結されたままでした。
久しぶりに会うと、いい関係がとけだして自然と親しい会話になります。
その中で、ポロリと「リストラ宣告されちゃったんだよね…」と伝えたところ、かなり親身になってくれ、そのあとラインでいくつもの励ましの言葉をいただきました。

精神的に弱っていたときでもあり、その言葉は私の心に深く沁みこみます。

「あの時、A君を撃ち殺していたら、今もらえるのはこの優しい言葉ではなかっただろうな」と…、しみじみと感じました。

そしてハッと気づきました。
私がいままで切り捨てていた、B子、C子、D子、その他、いっぱいの人たち…。
A君と同じように対応していたなら、きっと、その人たちも今このときに私の味方になってくれたはず。

そう、私は今までの人生、自分の正しさに固執し、私の味方になる可能性のある人たちを、バッサバッサと切り捨てていたんです。

なんてもったいないことをしてきたんだろう…。

もちろん、その時は、自分のしていることを全く疑っていませんでした。
だって、私は正しいことを言っていて、自分の正義を貫いていただけなんですから!
相手を打ち負かした時なんて、スカッとして気持ちいい!くらいでした。
あー、バカを切るって楽しいなー、なんて感じです。

けれども、いまのこの結果って、本当に私が望んでいた未来でしょうか!?
私の周りには人があまりいなんですよ。
正しいけれど、孤独な世界。

そしてもう一つポイントなのが、この孤独な世界、自分一人では気づかないんですね。
その時めざしていた理想のバカがいない世界なのに…

  • なんかつまらない
  • どういうわけか閉塞感がある
  • いきづまりを感じる

そんな時に、「一人ぼっちでつまらない人生になっている」ことに気づかせてくれたのは、A君の優しい言葉でした。

「そうか、私、孤独だったんだ。自分で自分をがんじがらめにしていたんだ。」と。

A君のことについては、本当に偶然にも攻撃しなかっただけでした。
けれでも、そのおかげで、いろんな大切なことにきづいた。
これからは意見が異なる時には、相手に寄り添いながら、丁寧なコミュニケーションをしていきたい。

以前の私は相手のためにどうして私が「丁寧なコミュニケーション」をしてあげないといけないのか!?と考えていました。

しかし、今ではよくわかります。お互いに対立が起こる時に、

  • 相手に寄り添う
  • 丁寧にコミュニケーションする
  • Big Picture をみて、多少のことは大目に見る

ということは、相手を自分の味方にし、よき仲間を増やしていく未来につながるこということなのだ。

自分のより良い未来のために、私は今なにを選択するのがよいのか、改めて考えることができる機会になりました。