昨晩にあるネットニュースを読んで気持ちがすごく落ちてしまった。
コロナ禍で加速するAI導入に伴う人員削減と要らなくなる職業について書かれてある記事だ。
いらなくなる職業の中に、まさに私がしている事務作業や秘書業務がバッチリはいっていた。
もはや秘書業務にはこだわらないとしていたけれども、これから転職活動をする身としては、この記事を読んで体中の力が抜ける思いだった。
記事に書いてある内容は決して間違っているものではなく、本当にその記事に書いてあるような世の中になっていく部分はあると思う。
ただ、私はこの文章を読んですごく絶望的な気持ちになったので、しばらくはこのような記事からは自分を遠ざけようと思った。
一方、私が好きでよく読む記事の中に、作家の辺見庸さんのものがある。
辺見さんの文章は社会情勢を的確にとらえ、その社会の中にある危うさに警笛を鳴らしている。
ある意味、同じように社会情勢のネガティブな部分に焦点をあてることがあるが、辺見さんの文章を読むと、身体の芯から活力がわき、地に足がつき、自分にしっかり根が生えていくように感じる。
なぜ、このような違いがあるのか!?
そこを私なりに分析したところ、私は辺見さんの文章は「愛」や「希望」が土台となっているように感じるのだ。
もちろん、辺見さんの文章に、そのようなことが書いてあるわけではない。
しかし、その文章を読むと、辺見さんは、この世の中や人間の中に「愛」や「希望」を見出していて、ただ単に警笛を鳴らしているのではなく、人の中にある、その「愛」や「希望」にゆさぶりをかけて、呼び起こしてくれているような気持になる。
インターネットが普及し、ブログやSNS、動画サイトなどが一般的になり、だれでも自己表現が手軽にできるようになった。
本当に無数の情報が氾濫しているけれども、私はこれからは自分の読む記事を選別していこうと思う。
そして、このブログで書く記事についても、辺見さんに感じたような、人の心を奮いたたせるような表現ができるようになりたいし、そんな表現を目指したいと、自分の身を引き締める思いになりました。
辺見庸さんの本『青い花』が11月、岩波書店の現代文庫として
刊行の予定とのこと。
読んでみようと思う。