つれづれ日記

必死のパッチ

毎日爽快

「必死のパッチ」って言葉を知っていますか?

どうやら関西地方の言葉のようで、私のイメージでは「死に物狂いで頑張る」みたいな感じです。

私、どうやら今まで「必死のパッチ」で生きてきたように思います。
自分を馬車馬のようにムチ打って、これでもか!?まだ、足りないぞ!って感じで。

初めてそのことに気付いたのは5年くらいまえで、それからは少し緩んできたんだけど、なかなか完全には抜けないもんです。

いま自分を大切にする時間を意識的に持とうと思い始めたんだけど、正直、自分を大切にするって、いったいどうするのかよくわからなくて。

で、そんなとき、ふと母のことを思い出しました。
私が母をどんな風に扱っているかということを。

お恥ずかしい話、私、70代の母にビックリするくらい厳しいです。
何か失敗すると、母が傷つきそうな言葉を探して、攻撃しながら叱ります。
母は私を王様かヒーローみたいに思っているので、しょんぼりしながらも懸命にいうことを聞くのです。
母が私の家にくると、家じゅうピカピカに掃除して、ご飯も私が言ったものをちゃんと作ります。
けれども、私はそんな母がちょっとでも失敗しようもんなら、容赦なく厳しくしかりつけるのです。

ひとしきり叱った後は、とても後悔するんだけど、その時はものすごく怒って感情が爆発して攻撃がとまりません。

もちろん、外の人たちにはそんな風にはしません。
だって、そんなことしたら嫌われますもん。

母は私を崇拝していて、ぜったいに私を嫌わないと知っているから、こんな態度に出てしまうのでしょう。
(DVする人のロジックってこんな感じなのかしら。。。汗)

そして、最初の話に戻りますが、今朝、思ったのが
「もしかして、私って、母をひどく叱り飛ばすように、ずっと自分をひどく罰しながら生きてきてた!?」
いや、もしかしたら、母に対するよりももっと厳しく自分にムチ打ってきていたかもしれない。
母は私に対して決して逆らわないから、失敗を許容しないというマイルールを押し付けやすかったのではないか。

そうか、私って、こういう部分、自分を大切にしてこなかったなぁ。
失敗する自分を決して許してあげてこなかった。

いつもいつも「必死のパッチ」で生きていて、それで失敗したら、ひどく自分を罰していた。
けれども「必死のパッチ」なんだけれども、大して成果もでない「必死」。
なんのために、必死になっていたんだろう?
あれ!?もしかして「失敗したくないって気持ち」と戦うことに必死になっていたの?
そうか、すごく追い詰められていたんだね。
そんなプレッシャーの中、よくやってきたよ。えらいね。

大丈夫だよ。私さん。

  • 「必死のパッチ」でもいいよ。
  • 失敗してもいいよ。
  • 何もしなくてもいいよ。
  • なまけていても大丈夫だよ。
  • え!?何?母の作る卵焼きにカラがはいっているのが許せないって!?
    いいよ、いいよ。お母さんを許さなくっても大丈夫!

私は私が「誰かの役に立ちたい」「誰かを助けたい」「幸せにしてあげたい」「幸せになりたい」って、ずっと頑張ってきたことをしっている。

良くやってきたね。
よく生き抜いてきたね。
いまはしっかりとお休みしよう。
いっぱい私を甘やかしてあげよう。