海外ドラマ

オレンジイズニューブラック

毎日爽快

昨年くらいからネットフリックスの米国ドラマ「オレンジイズニューブラック」をぼちぼちみている。

「オレンジイズニューブラック」は、いわゆる女囚物です。

この物語ではそれぞれの女囚の刑務所にはいることになった経緯を回顧ドラマのように紹介しているストーリーがあり、その生い立ちや生活背景、当事者たちの当時の感情の動きにとても心惹かれる。

貧困や生活、社会問題を抱えながら犯罪に手を染める(あるいは、巻き込まれる)彼女たちをみると切ない想いでいっぱいになり、

「ほんの少し手助けがあれば」
「もう少し話を聞いてくれる誰かがそばにいれば」
「あと一歩の勇気があれば」

と考えずにはいられません。

ドラマの大筋で繰り広げられる刑務所での彼女たちの生活はとても過酷で壮絶です。
いちどこのループにはいってしまうと自力で抜け出すことは大変困難でしょう。

心理学を勉強する中で学んだことの一つに
「間違いを犯した人に必要なのは”罰”ではなく”助け(サポート)”である」
ということがあります。

実際に、下記記事にもあるとおり、ポルトガルでは薬物犯罪において厳罰よりも治療(サポート)を提案することで犯罪や中毒者の改善に成功している例もあります。
第5回 世界の主流は「薬物の非犯罪化」

ヘロインに揺れたポルトガル、それでも厳罰より治療を選んだ

しかし世界中の多くの国々や社会では、犯罪や犯罪者を社会全体で糾弾し、加害者(犯罪者)に厳罰を科せたいという風潮があるように感じます。
そして、そういう私も子供や動物に対する虐待ニュースをみると、被害者の遺族でもないのに、復讐心にも似たような感情がお腹の底から湧き上がってくるので、その気持ちを否定することはできません。

ただ、そのような怒りのマグマに身も心も任せて、相手をめった刺しにするような行動をとることが自分の本当の心の平安になるとも思えないのです。

全ての人たちが生まれながらに自分が理想とする環境を兼ね備えているわけではありません。
そして私を含めた大抵の人たちは、自分が生きてきた世界が判断基準で、よりよい状況や、もっと悲惨な状況については知らないことが多いように感じる。

だからこそ、このようなドラマ(作品)を通して「(他)人はそれぞれ表にはみえない事情を抱えていることもある」という想像力を養うことはとても勉強になるような気がします。
私自身がいろんな学びを通し、自分の選択や行動を成熟させ、実際に何かが起こった時には、たとえ小さなことでもその人のサポートになるような行動を選択できるようになりたい。

また、心のふんどしを締めなおすような気持ちです。